今回はちょっと真面目に。大学で心理学も哲学もBだった微妙な頭で考える。
生きるとは?
この疑問を持ったのは仕事において常に行動に対する目的を求められたことがきっかけだ。
社会人になり、バカみたいにすべての行動に目的を求められる。
辛いときにふと感じた、、、そもそもすべてに目的を持つべきなら働く目的は?
試しに同期に働く目的について相談してみたところ、金をもらえるからだと。
なるほど、金は確かに生きる上では大事かもしれない。
そもそも生きるのって相当大変だと思う。
週のうち5日間働いて、2日間休むというサイクル。
生きるために7日間のうち5日も必死にはたらいている。
そうまでして生きるのだからたいそうご立派な目的があるのだろう。
では生きる目的は何か?
好きなことをするため。美味しいものを食べるため。
健全な人からはこんな回答があるかもしれない。
でも、それって個個人に当てはまるもので、包括的ではない。
おまけに後天的な目的に過ぎない。
人が生まれて生きる、働くという事象に個個人の価値観を持ち出さないで目的をもうけるとするなら?
種の繁栄のため。
余談だが、たまに死ぬために生きているという言葉を聞くが、僕には理解が及ばない。聞こえは中二病みたいだし、それなら生まれる必要もないし、、、なんなら今死ねば?と言いたくなる。
本題に戻る。種の繁栄についてはいささか疑問が残る。
種の繁栄が本当に生きる目的になるなら子供が増えない状況は罪だし、不妊症の人や独身貴族は大罪人になってしまう。
もちろんそんなことはあってはいけない。
では生きる目的は?
…結局生きる目的などない。そもそも前提が違ったのだ。
何事にも目的を持たせようとしたからいけないのだ。
ただ人が生きられる環境があったから生きている。
絶望する必要はない。自然のあり方がそうなのだからむしろ仕事で目的を逐一設定する方が自然に反している。
そう思ったときに気持ちが楽になった。
社会人としてお金をもらうからには会社に貢献して目的も定めないといけない。
中にはそういう上司もいるかもしれない。
そんなことはどーでもいい。お前の価値観を人に押し付けるな。
無駄な責任感なんて捨ててのんびり仕事をこなせばよいのだ。
もしそれで緩みきって仕事に張り合いがなくなったら
【俺が社会を回しているのだ】という大義名分をかざせばよい。
それに気がついてからはだいぶ生きるのも楽になったし、気負うこともなくなった。
午前うとうとして時間を過ごし午後に遅れを巻き返す今日この頃である。