先日,友人から急に
「大学で学んだドイツ語の単語組み合わせて文章作ってよ」と言われた。
単語すらほぼほぼ覚えていなかったが,ふと頭に浮かんだ文章を言った。
ich libe mich.
意味まで覚えていた単語はichのみ。「私は」である。
文の意味は??と言われても,わからん。
googleで意味を調べてみた。
もしかしたら動詞の活用形等は違うかもしれないが,翻訳サイトでは意味が出た。
私は自分が好きです。
意味を伝えて二人で笑っていた。
何気ない日常の一コマだが,自分の価値観を本能的に伝えていたのかもしれない。
この前銭湯で自分の価値観、ルーツについて考えていた。
露天のベンチでお爺さん達に囲まれた全裸の男が考える人のポージングをしている様は非常にシュールだっただろう。
詳しくは割愛するが、幼稚園のときから大学まで様々な経験の中で自分のモチベーションになること、自分がやってきたこと、避けてきたことを考えていた。
結局、自分にとっての価値観の根本にあるのは承認欲求なのだろう。
小さい頃から死というものに漠然と恐怖を感じていた。
自分が消える、所有物が消える、みんなの記憶から消える。
そんなことを小さい子ながら感じていたのだろう。
承認欲求を満たすために誰かに感謝される、頼られるという手段をとってきた。
感謝されることが目的ではない、あくまで自分の存在を確認することが目的なのだ。
自分にとって重要な価値観がなにかというのは人生の選択において常につきまとう。
僕にとっては自分の存在を確かめられるかどうかが重要になる。
だからこそ、今の仕事内容は苦痛で仕方がない。
周りに認知されることなくデスクで社会の動向を永遠見続ける。
需要があるところへの提案ではなく、需要自体を創り出すビジネスの提案。
会社にとっては重要かもしれないが、僕の価値観とは異なる。
技術スキルが欲しいと思っていたのも、スキルがあれば誰かの役に立てるから。
ひいては、自分が「生きている」ということを確かめられるから。
やっと自分の言動を理解できた気がする。
自己中に生きようぜ。ich liebe mich.