今年もこの時期が来てしまった。
例年よりかなり早い気もするが・・・・
今朝買い物に行こうと家を出たときである。
ドアの鍵を閉めているときに気が付いた。
奴がいる。
そう,セミである。
あいつらはなりふり構わず捨て身で危険タックルをしてくる。
個人的にはセミこそが「窮鼠猫を噛む」という言葉の語源であると提唱する。
死にかけのセミなんてものは言葉通り,”死に物狂い”で羽ばたこうとする。
まずは死んでいるか目視でチェック。
雨に打たれて羽ばたけないものの,裏返ったセミの足がもぞもぞと動いていることが判明した。
買い物に行きたいがこのままでは行けない・・・・
しかしこちらも生活が懸かっている。
仕方がない,意を決して行くしかない。
あれをやるしかないのだ。
そして僕は家に戻ると傘を取り出し再び家を出る。
廊下で傘を広げて,目の前に突き出す。
まずはしっかりとセミの位置を認識する。
その後傘でセミを見えなくし,少しずつ近づく。
廊下は狭く,セミに飛ばれたら間違いなく腰が抜けるためしっかりとセミの行動範囲を狭めながらゆっくりとセミの横を通る。
この行為によってセミは絶対に自分に危険タックルをすることはできない。
なんとかピンチを切り抜けて買い物に行き,帰りも同様にセミをブロック!!
なんとか家に帰ってほっと一息。
あのセミは生命力はほとんどないだろう。
これなら次から大丈夫かもしれない。
そんなことを考えながらコーヒーを飲んで優雅な午後を過ごす。
そして週一回のランニングに行くことに。
2度もセミの横を切り抜けたのだから,もう大丈夫。
そんな悲しい暗示を自分にかけながら準備をする。
着替えを終えて決死の覚悟で玄関のドアを開ける。
おった・・・・
奴はしっかりと僕の家の玄関前で待ち構えている。
すぐさま扉を閉めて鍵,チェーンを閉めたのちに状況を整理する。
・共用廊下の遠いところにセミがいた。
・セミを防ぎながら買い物をした
・ランニングのためにドアを開けると僕の部屋の玄関前でセミが待ち構えていた。
結論:先ほどの傘のことを覚えていたのだろう。
この状況が起きてすぐさま家に戻り今ブログを書いている。
一時間が経った・・・・まだセミは玄関前にいるのだろうか???